古賀さんは一度だけ生で見たことがあります。
オリンピックの金メダル獲得の後、体操の池谷さんと一緒に各地のイベントで引っ張りだこでした。
オリンピックで一本勝ちした技を一通り披露するという内容でした。
筆者は、コンサート等のイベントに一切興味がなかった学生時代でしたが、わざわざ地方から都市部に見に行きました。
それぐらい、格闘技好きの筆者にとっては「スター」でした。
往年の大柔道家は多々いますが、筆者の世代で、これだけ華があって、ドラマがあって、結果を残した柔道家は他にいないと思います。
「平成の三四郎」と呼ばれる立技に拘った1本を狙うスタイル、背負い投げは見ていて面白い。
魅せられる柔道家でした。
柔道家なのでガッチリとした体格ですが大きくない。それ分、スピードが凄い。爽やかな印象もありました。
本当に急遽のニュースには驚きましたし残念でした。
そんな、古賀さんの同学年に暴走王の小川直也さんがおります。
小川さんは、格闘界では暴走王で落ち着かない印象があるのですが、柔道家としては天才です。
高校生で柔道を始めて大学生で世界王者ですから。
そんな小川さんは次のようにコメントしています。
「早すぎるよ。言葉が見つからない」
「亡くなったと聞いてびっくりした。今度会おうという話もしていたのに残念。言葉が見つかりません」
小川さんは先月に体調がすぐれないという古賀さんが心配で電話をしたといいます。
「30分くらい話をしたんですが、声はいつもどおりだった。病気も治るものだと…。高校時代から知っている仲だし、馬鹿話ばかり。体調の話になった時には、『お前は健康に気をつけろよ』などと気をつかってくれた。彼の体調が良くなったら、快気祝いでもやろうと話していたのに…」。
2人の接点は次のようなことがあります。
●高3の国体で同じ東京チーム
●1987年のエッセン世界選手権で同室。
●1989年ベオグラード世界選手権では2人だけが世界王者
●体重無差別の大会で古賀さんは重量級選手相手に勝ち上がり、決勝で両者の対決が実現
「日本武道館が満杯になって…。ほとんどが古賀君の声援でアウェー状態だった。こっちは連覇がかかっていたし、お互いに負けられなかった」
「階級は違うけど、お互いに柔道界を引っ張るライバル同士でもありました。電話では『お前もお前で頑張れよ』とお互いに励まし合ったんですが…」
今回の件で、二人の繋がりを初めて知りました。
小川さんはプロレスや興業の印象から非常識人のように思ってしまいますが、リングを下りるとスポーツマンで素晴らしい人格の逸話を聞くことがあり、ギャップがすごいです。
ホントに古賀さんの急遽は残念で悲しいです。
本当にありがとうございました。
古賀稔彦さんを偲ぶネットの声まとめ
日本の柔道史上最高のスター選手は古賀で間違いない
漫画のようなというか漫画やフィクションがモデルにするレベルの伝説的な存在
フィジカルありきって最重量級で相手もフィジカルモンスターしかいない状態だぞw
しかも小川は柔道始めたのが高校からで大学1年で大学王者、2年で世界王者というバケモン
柔道界には必要な人でしょ
古賀マジかよ…
病気だったなんて知らなかったわ
高校時代、バルセロナでの背負い投げはビデオテープが擦り切れるほど見たが
到底真似できる代物じゃなかった
軸足が相手のふところ深く入り回転と同時に相手がすでに浮き上がっている独特な背負い投げは
は古賀にしかできない凄技だった
指導者として若手を育てていると思っていただけにショックなニュースだわ
育成した令和の三四郎を見たかったな
お疲れさまでした
平成の三四郎よ
安らかに
会社で思わずえっ!て声出してしまった
早すぎるよ
高校時代から柔道マガジンで大注目の選手だった
観てて一番心が燃えた五輪の出場選手でした。
最もカッコいいと思ったアスリートでした。
昨年3月に手術して腎臓を片方摘出して最近は腹水が溜まったり体調が悪化してたらしい
小川直也は高校から柔道を始めて、19歳で世界チャンピオンに上り詰めた本当の天才。
とにかく体力があって、スタミナお化けって言われてた
先輩だけど篠原も井上康生尊敬しているしライバルでもあった鈴木も尊敬しているよ。
発見された時は既に手遅れだったんだろうな
まだまだガンは恐ろしい病気だな
小川193cm130kg vs 古賀169cm75kg
すげえな
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