
竹内結子さん、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
芸能人の訃報が続いてしまう背景で「芸能界の闇」「日本社会の闇の縮図」 という言葉がトレンド入りしています。
発信力のある方が、使用しているワードで、何もできない自分の無力さを投稿しているようです。
共感している方も大勢いて、気持ちはわかります。しかし、それで嘆いていたも何も解決しない。
芸能界の闇、社会の闇、、、、政治家だろうがどんなスーパースターでも、いきなり解決なんてできはしない。
そもそも「闇」とは何だ?
わからない問題がうごめいていると感じた時に、「闇」という言葉を使って抽象的にしていれば、ミステリアスだし、なんとなく格好いいし、おさまりもいいかもしれない。
物語で使用するには良いワードかもしれないが、現実社会、業界、生活の中で使用されても無責任に感じてしまう?
まして、芸能界で起こった報道を、社会の縮図としていいのだろうか?
芸能界の問題ではなく、社会の問題とするなら、問題を余計大きくしているだけで、何の解決にもならい。
逆に混乱して、何もできないことを正当化しているだけになってしまう。
現実社会において「闇」なんて言葉を使用して、問題をすり替えている場合ではない。
闇を紐解いて、問題点を明確にして、解決してくしかない。
カッコよく言うと、そうしなければ、闇に光は照らされないのではないか?
では、どうすればいいのか?
①なぜ、命を落とす必要があったのかを明確に開示する社会にしなければいけない。勿論、本人の名誉や遺族の想いを配慮しなくてはいけない。
②芸能事務所、会社、組織は、同様の案件を抱えていないか見直しをしなくてはいけない。公正明大でいなくてはいけない。
③自分たちで解決できない問題なら相談できる場を、国、市町村、各業界で考えなければならない。
④自分達の身の回り、大切な人が、同様の案件で苦しんでいないか?気を配らなくてはいけない。竹内さんが、産後のウツが原因であれば、産後のケアを見直さなければいけない。
少なくとも、上記④の自分の身の回りにいる人への気配りは小生でもできる。すぐ実行できる。
その思いや行動が広がることが、「社会を変えていく」ということではないのか?
「芸能界の闇」が「社会の闇の縮図」というのであれば、自分の行動を変えることが、大きな変化に繋がっていくと信じたい。
何もできないと言っている場合ではない。
発信力のある方には、
「自分にも出来ることはある。まずは、まわりに居てくれる人が、悲しい決断をしないように、気遣いをして大切にしていこうよ。
明るい社会を、自分の身の回りから作っていく努力をしよう。」
偽善者と叩かれるかもしれない。多くの批判を受けるかもしれない。
しかし、「芸能界の闇」を「社会の闇の縮図」というのであれば、少しでも社会に対して光を照らす前向きな発言した方が良いかもしれない。
その「社会」の一員は自分なのですから。
「大きな歴史は、たった一人の人間の覚悟から始まる」
皆さんはどうも思われているのか?ネットのでコメントも紹介させて頂きます。
その「闇」について
詳しく説明をして欲しい!
それを今さら闇の縮図とかいわれても
特殊な界隈の縮図なのでは?
国民レベルで自殺率が低い国なのに芸能人の自殺が頻発してたら「芸能界の闇」かもしれないけど
日本みたいに自殺だらけの国で何を言ってんだって感じ
どうしても「闇」だの言いたいならば、まさに「日本の闇」がついに芸能界まで浸食していっただけのこと
もちろん一般社会も自死する人は多いし、率的にいうと一般社会の方が多いかも
だからこそ一応一般社会には鬱になったら休業しつつ給与でるよ的な制度もあるけど
芸能界の場合は1回入った仕事は休めない、イメージキャラクターになったら拘束される等
ちょっと一般社会とは違ったストレスや生活習慣はあるよねと思う
身近で3人が同じ方法で短期間に自殺するなんて聞いたこともないし
芸能人っていう職業だからこその闇に思える
話をすり替えるなよ
動画再生も稼げていい商売ですわ
弱い人は自害していく
漠然と絶望して死んだなら連鎖する
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